ルーツ山本家(いなべ市北勢町垣内(一之坂)→四日市茂福)
三重県いなべ市北勢町一之坂(住所は垣内)にかつて存在した山本家。
現在はその分家にあたる家が一軒あります。
私が幼少の折にはおばあさんが一人でお住まいになられていましたが、一昨年かその前かにお亡くなりになられ、山本家の屋敷も処分されたようです。
山本家の家紋は 丸に笹竜胆です。
お寺は藤原町東禅寺の西教寺さんですが、H子さんが亡くなられた時には桑名の方の寺院で法要は執り行われたという風に聞いています。
H子さんの旦那さんは吾陸さんといい、この方は早くに亡くなられているようです。読みは「ごりく」さんとのこと。
吾陸さんの母はとくさんといい、母が幼少の頃、祖母方の親戚の誼からか、預けられていたことがあったそうです。昭和49(1974)年頃に100歳の大往生を遂げられたと、母から聞いています。
吾陸さんの父は常三郎さんといい、私の高祖父と兄弟でした。
この常三郎さんの父、常造さんこそ私の先祖にあたります。常造さんの息子である千代松が、私の祖母の父方の祖父にあたります。
常造さんは私の祖母の実家である安藤家から山本家へ養子に入り、祖母の曾祖父である安藤源右衛門の弟で、安藤庄蔵の息子です。
常造さんの先代は名前は不明ですが、明治5年5月28日付の文書に、垣内村百姓総代として山本利八さんという名前があります。おそらくはこの方が常造さんの先代ではないでしょうか。
山本家の墓を見ると、建立者は山本常一、山本貫一となっています。
このお二人はおそらく吾陸さんの兄と思われます。
貫一さんには、貫二さんという息子さんが居られたようです。
常一さんは四日市市茂福(富田)に住まわれていたというように聞いています。
2000年度の電話帳の四日市市西阿倉川に、山本常一さんのお名前が見えますが、関係があるかどうかは不明です。
もし何かしら関係のある山本さんがいらっしゃいましたら、お気軽にコメント、もしくはメールをください。
yamatotakerunosuperuアットマークgmail.com