ルーツを尋ねて三千里

歴史を紐解きルーツ・先祖を辿る

三重県・葛山一族のルーツ①「葛山姓の分布と葛山氏の概説」

葛山という姓を姓名分布ランキングというサイトで検索すると、三重県を最多とし、次いで東京都、愛知県となっています。

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最多の三重県内でも多く葛山姓が分布するのは四日市市で、次いでいなべ市三重郡朝日町となっています。

いずれも三重県北部に集中していることが分かります。

 

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さて、気になるのは三重の葛山一族のルーツです。

結論から言えば、そのルーツは駿河国駿東郡葛山(現静岡県裾野市)を発祥とする武士で、室町時代以降は葛山城に本拠を置いて栄えた豪族・葛山氏です。その概説を述べると次の通りです。

 

葛山氏の本姓は藤原氏と言われており、その始祖藤原鎌足中臣鎌足大化の改新を後の天智天皇、当時の中大兄皇子と共に主導した)の次男・不比等の次男・房前を祖とする藤原北家の流れを汲むとされます。

 

叔父の藤原道長(後に親子二代で摂関政治の全盛期を築いた)と関白の地位を争って敗れた藤原伊周の曾孫である「藤原維兼」(『葛山家譜』、『仙年寺過去帳』、『葛山御宿系図』、『武田源氏一流系図』。『大森系図』及び『大森葛山系図』では「惟兼」)が駿東郡葛山という地に住み、葛山氏を称したことに始まると言われています。

 

源平争乱期には葛山一族は源頼朝に従ったようで、『曾我物語』には「葛山又六」、「竹下孫八」といった一族の人名が見えます。初代・維兼の孫世代にあたります。

 

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源頼朝

 

鎌倉幕府が開かれると御家人として仕え、『吾妻鏡』では、承久の乱(1221年)に一族の中で幕府方として参戦した人物として「葛山小次郎」「葛山太郎」の名前が見えます。とりわけ小次郎幕府軍の総大将・北条泰時(後の三代目執権)に従って先発した十八騎の一人であることから、有力な御家人だったと思われます。

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北条泰時

戦国時代には先述の小次郎の子孫が、駿河の守護・今川氏の下で国人領主(半独立勢力)として駿東郡を治めました。その支配領域は現在の静岡県裾野市葛山を本拠とし、北は御殿場市から南は沼津市に周辺にかけてのものだったといいます。

 

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静岡県の地図

 

葛山氏の支配領域は駿河今川氏、甲斐武田氏、相模後北条氏といった有力な戦国大名に挟まれ、形の上では今川氏に従属していましたが、北条氏や武田氏ともつながりを持ちました。

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https://www.kashikiri-onsen.com/kantou/gunma/sarugakyou/sengokushi/map.html

 

史料上では、当時の領主として「葛山中務少輔氏広」「葛山備中守氏元」の名前が見えます。

氏広後北条氏出身で、領主葛山氏の養子となったと考えられており、氏元は葛山一族の出身とされ、氏広の養子となってその死後に葛山氏を継承したと考えられています。

 

 

永禄3年(1560)、尾張の小大名・織田信長と当時「東海道一の弓取り」と呼ばれた駿河戦国大名今川義元が争った桶狭間の合戦では、今川方として馳せ参じた葛山一族も多く討死したと伝えられています。

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http://www.nagoya-info.jp/nobunaga/okehazama/where/

名古屋市緑区桶狭間古戦場公園にある織田信長(左)と今川義元(右)の銅像

 

義元桶狭間で戦死すると今川氏は衰退し、当時今川氏と同盟を結んでいた甲斐の戦国大名武田信玄は同盟を破棄し、駿河への侵攻を開始します。

義元の跡を継いだ今川氏真はこれを迎え撃つべく、今川氏の名軍師・太原雪斎の一族である庵原忠胤を大将とした軍勢を薩埵峠(静岡市清水区由比西倉沢)方面に派遣し、自らも清見寺(静岡市清水区興津清見寺町418-1)に本陣を置きました。

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武田信玄

 

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今川氏真

 

時の葛山氏当主であった「氏元」もこの薩埵峠方面に派遣された今川氏の有力武将の一人でしたが、朝比奈信置瀬名貞綱らと共に武田氏へ離反したため、薩埵方面の今川軍は総崩れとなり、清見寺に布陣していた氏真駿府の今川館に退却しました。

結局武田氏の猛攻を防ぎきることは出来ず、氏真後北条氏を頼って小田原に逃れ、ここに戦国大名今川氏は滅亡し、遂に武田氏の領国となりました。

氏元の離反については事前に信玄の調略があったようで、「信玄が駿河を制圧した暁には駿河半国を知行する」といった条件が武田側から提示されてそれを受諾したとされています。

しかし、それを抜きにしても義元の戦死後は今川家は衰退し、松平元康(後の徳川家康が今川氏から独立して仇敵織田家と同盟を結び、井伊直親・飯尾連竜を始めとした国人領主が離反するなど、混乱が続いていました。

こうした状況を氏元も知っていたはずで、今川氏が長くないことを悟っていたのではないでしょうか。一族の安泰のため、代々の領地を守るため、武田氏に離反したのもやむを得ない決断だったのではないかと思います。

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駿河志料』 第9編

氏元の直筆による印判は元亀元年(1570)3月20日付のものが最後のものとなり、その後の氏元及び一族の動向は当時の確かな史料からは不明です。 

 

後世に記された軍記物語や系図等によると、氏元今川氏離反の際に信玄と交わした約束が果たされなかったことから、後北条氏と内通して反乱を企てたものの、事前にそれが露見して諏訪湖において処刑されたとされています。

なおこの時に一族皆討たれた、一門悉く湖に沈んだ、一族五人が張り付けにされた、溺死した、など氏元及び一族の最期については軍記物語や系図によってその最期には異同があります。

なお、当時の禅僧・鉄山宗鈍漢詩には次のような部分があります(読み下し文を掲げます)。

瑞栄居士、仮に府命を蒙り、諏訪大湖上に潜蹤す。本年二月の終り、屈子の懐沙の日を待たずして、俄然、説破に没溺せらる。

「瑞栄居士」とは葛山氏元の戒名のことで、「府命」とは武田信玄の命令を指すといいます。

「屈子」とは、春秋戦国時代の楚の政治家であり詩人の屈原(前343?~前278)のことです。その最期はこの世に絶望して前278年5月5日に長江の支流・汨羅に身を投げ、「懐沙」という漢詩を遺したと伝わっています。

つまり、この漢詩を意訳すると、「氏元は信玄の命により諏訪湖で姿を消した。本年(1573)2月の終わり、屈原の懐沙の日(5月5日)を待たずに、突然信玄によって説破されて波の中に消え失せ、風と露のみが残った。」というようなものになるのでしょうか。

この漢詩に忠実であるならば、元亀4(1573)年2月末に氏元信玄の命令によって諏訪湖で最期を迎えたことは間違いないようです。軍記物語や系図類の記述からして、この時氏元に近い一族の人々も最期を迎えたのは事実でしょう。

ここに、事実上葛山氏は滅びました。

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https://www.suwakanko.jp/

 

さて、軍記物語や系図類によると、信玄によって葛山氏の与力・同心は助けられ、信玄は六男・武田信貞(前名・義久)氏元の次女・おふちの婿養子に据え、信貞「葛山十郎信貞」と号して葛山氏を継承しました。

しかし、それは従来の駿東郡を治めた葛山氏を継承したというよりは、葛山氏の名跡を乗っ取った形でした。

ただし、元亀3年(1572)5月11日付の武田信玄の判物に葛山信貞の名があることから、氏元が1573年に亡くなったことが事実だとすれば、信貞の葛山氏継承は氏元の生前のことだったのではないかと思われます。

尤も、この時の信貞はまだ10代と幼かったので、御宿友綱(御宿氏は葛山氏の一族)が陣代に就任して後見人を務めました。

 

元亀4年(1573)4月、信玄が病死した際には信貞は葬儀において位牌を持つ大役を務めています。

信玄の跡を継いだ武田勝頼は、天正3年(1575)の長篠の戦いで織田・徳川の連合軍に大敗を喫し、信玄以来の重臣を数多く失いました。

その後、勢力を増した織田信長によって甲州征伐が行われ、勝頼は妻子共々自刃して武田氏は滅亡し、信貞小山田信茂と共に甲斐善光寺で処刑されました(地元の裾野市では、甲斐善光寺に向かう道中で徳川家康によって殺されたと言われているようです)。

時に天正10(1582)年3月のことでした。

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葛山信貞終焉の地と伝わる甲斐善光寺山梨県甲府市善光寺

ここに名実ともに葛山氏は滅び、歴史の表舞台から姿を消すこととなったのです。

 

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